大判例

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東京高等裁判所 平成12年(ネ)1389号 判決

控訴人・附帯被控訴人

甲野夏子

(以下「控訴人」という。)

右訴訟代理人弁護士

古屋亀鶴

被控訴人・附帯控訴人

乙川春子

(以下「被控訴人春子」という。)

被控訴人・附帯控訴人

丙山二郎

(以下「被控訴人二郎」という。)

右両名訴訟代理人弁護士

島田達夫

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らの請求を棄却する。

三  被控訴人らの附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  附帯控訴棄却

二  被控訴人ら

1  控訴棄却

2  (当審で追加した請求)

控訴人が丙山花子の相続について相続権を有しないことを確認する。

第二  事案の概要

一  控訴人、被控訴人ら及び丙山一郎(一郎)は、丙山太郎(平成二年二月一一日死亡。太郎)と乙山花子(平成一〇年二月七日死亡。花子)との間の子であり、花子の相続人である。

本件は、被控訴人らが、花子名義の平成二年九月八日付け自筆証書遺言(本件遺言)は花子の自筆によるものではなく、控訴人が偽造したものであると主張して、控訴人に対し、本件遺言が無効であることの確認を求めた事案である。

原判決は、被控訴人らの請求を認容したので、これに対して控訴人が控訴を申し立て、被控訴人らが附帯控訴を申し立てて請求を追加し、控訴人が花子の相続について相続権を有しないことの確認を求めたものである。

二  右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

原判決は、本件遺言が花子の自筆によるものであると認めなかったが、これは事実を誤認したものである。

控訴人は、太郎と花子の末子であり、昭和五九年に結婚するまで両親と同居して両親の面倒をみてきた。とりわけ、花子は、昭和五〇年には高血圧の発作で倒れ、以後病身であった。昭和五九年に結婚した後も、控訴人は、両親宅のすぐそばに居住し、両親の面倒をみた。また、控訴人は、平成二年四月に乳ガンを患い、花子は控訴人の将来を大変心配していた。このため、花子は、控訴人に自分の財産を遺贈するとの本件遺言をしたものである。花子が本件遺言をした動機、その内容には合理性がある。

花子が平成二年九月当時字を書くことができたことは、当時石和温泉病院で花子の付添いをしていた原審証人鈴木とめの証言、陳述書により明らかである。

本件遺言の筆跡は花子の筆跡であるとの一郎の陳述書、花子から本件遺言を見せてもらったことがあるとの前田ウミ、俵木仔之子の陳述書、証言、本件遺言の筆跡と花子の日記帳の筆跡とは同一人物の筆跡と判断されるとの吉田公一作成の鑑定書からも、花子自身が本件遺言を作成したと認められる。

なお、原判決が依拠した原審における鑑定の結果は、結論と理由の間に齟齬、不自然な点があり、具体性に乏しいものであって、信用性に疑問がある。

(被控訴人らの当審における主張)

本件遺言は、花子の自筆によるものではなく、控訴人が偽造したものである。

したがって、控訴人は花子の相続について民法八九一条五号の欠格者に当たり、相続権を有しない。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所は、本件遺言は花子の自筆によるものであり、被控訴人らの請求は当審で追加した請求を含め理由がないものと判断する。その理由は次のとおりである。

1  事実の経過

証拠(甲一ないし六、一〇ないし一二、一四、一五の一ないし三、一九、二三、二六、二七、三〇、三四ないし三六、乙二〇、原審における控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件の事実の経過として、次のとおり認めることができる。

(一) 太郎(明治四〇年三月五日生まれ)と花子(大正二年一二月七日生まれ)には、被控訴人春子(昭和一五年三月九日生まれ)、一郎(昭和一六年一二月二五日生まれ)、被控訴人二郎(昭和一九年二月一〇日生まれ)及び控訴人(昭和二一年一〇月三一日生まれ)の四人の子供がいたが、遅くとも昭和四七年四月ころまでに被控訴人ら及び一郎は結婚などによって両親のもとを離れ、控訴人のみが両親と同居していた。

控訴人は、昭和五九年二月に結婚した後も、両親宅のごく近くに居住した。

(二) 花子は、昭和五〇年三月に高血圧症により軽い発作を起こし、左半身に軽い麻痺を生じた。しかし、以後も、日常生活に支障はなかった。

さらに、花子は、昭和六二年五月、脳梗塞で板橋中央総合病院に約二か月入院した。

(三) 太郎は、昭和三一年以降、花子名義で賃借した東京都豊島区西池袋の土地に建物を建て居住していた。太郎は、花子の入院を契機に子供との同居を考え、旧建物を取り壊して二棟の建物に建て替えた。平成元年五月ころから、そのうちの一棟に太郎、花子、控訴人夫婦が居住し、他の一棟に被控訴人二郎一家が居住した。

(四) 平成二年二月一一日に太郎が死亡した。

太郎の死亡時、太郎の遺産としては次のものがあり、その総額は約一六億円に及んだ。

ア 東京都豊島区西池袋の建物(西池袋の建物)二棟

イ 千葉県松戸市の土地

ウ 静岡県熱海市のマンション(熱海のマンション)一室

エ ゴルフ会員権六口

オ 株式 時価総額一三億円

カ 銀行預金 約三五〇〇万円

花子、被控訴人ら、一郎及び控訴人は、太郎の遺産について、平成二年五月ころ、次の内容の遺産分割協議を成立させた。

(1) 花子は、次のものを相続する。

西池袋の建物一棟(居住している建物)

熱海のマンション一室

株式、銀行預金のすべて

(2) 被控訴人ら、一郎及び控訴人は、次のものを相続する。

千葉県松戸市の土地 四分の一ずつ

ゴルフ会員権 被控訴人ら及び控訴人は一口ずつ、一郎は二口、残る一口は四人が四分の一ずつ

(3) 被控訴人二郎は、別に、西池袋の建物一棟(居住している建物)を相続する。

(4) 花子は、代償金として、被控訴人春子に一億三六二〇万円、一郎に一億四八八〇万円、被控訴人二郎に一億一一四〇万円、控訴人に一億五〇九〇万円を支払う。

(五) 花子は、株式の売却代金等により、代償金(合計五億四七三〇万円)を支払った。

花子は、配偶者の税額軽減措置を受けたため相続税が課税されなかったが、子供達には約九〇〇〇万円ないし九八〇〇万円の相続税が課税された。

(六) 太郎が死亡した後、西池袋の建物では、花子と控訴人夫婦とが同居を続けた。

しかし、平成二年四月、控訴人が乳ガンに罹患していることがわかり、同年五月には手術を受け、同年六月三日まで入院した。

入れ替わりに、花子は、同月四日から平成三年五月二五日までの約一年間、石和温泉病院に入院した。

(七) 花子は、平成四年九月に一二日間要町病院に入院し、その後、平成六年一一月まで約二年間、ヴィラ武蔵野(シルバーホテル)に滞在し、一か月に一週間程度自宅に帰る生活を続けた。

そして、花子は、平成八年一二月二四日に富家病院に入院し、退院することなく、平成一〇年二月七日に死亡した。

2  遺言書作成の動機、内容について

1に認定した事実によれば、平成二年九月までの間において、太郎、花子の両名と最も長く同居し、年をとってからの両名の世話をしてきたのは控訴人であると認められる。

したがって、太郎の遺産の相続に当たっては、ほぼ民法に定める相続割合で遺産分割協議がされたとしても、花子の遺産の相続に当たっては、花子が、それまで最も両親の世話をした者にその財産を譲りたいと考えることは自然な心情であると考えられる。

また、花子の財産の内訳をみると、太郎の遺産分割によって計算上取得した金額は大きいが、その大部分が株式であって、不動産については、居住している西池袋の建物とその借地権及び熱海のマンション一室に尽きる。

乙一九によれば、花子は、被控訴人春子に対し、昭和四九年から後でも毎月のように金銭を渡していたこと、一郎に対しても金銭を渡していたことが認められる。乙二〇の日記帳の最後の日付である昭和六二年四月一六日にも、被控訴人春子に請われて一〇万円を貸したことが記載されていることからして、右のような金銭的援助は昭和六二年まで続いていたものと認められる。このように、花子は、太郎の死亡に至るまで、子供達に金銭的援助をしたことはあっても、どの子からも金銭的援助を受けたことはなかったものと認められる。したがって、花子は、太郎の死亡後も、自らの生活は自らの金銭で維持していく予定であったと推測される。そうであれば、保有する株式が多少あったとしても、それは生活のために費消されることが予定されていたものにすぎない。一方、右にみたとおり、花子は、結婚した娘に対してもかなりの金銭的援助をすることをいとわなかったのであるから、控訴人に対して金銭を残す結果になったとしても、花子の考えに反しているとはいえない。

花子が、今後の生活のために金銭を使い、それが自分の死亡時に残っていれば控訴人に贈与したい、少なくとも居住する建物とその借地権、マンション一室は控訴人に残したいとの意図で遺言をすることは、それまでの生活状態からして、内容としても合理性を有するものであると解される。

3  石和温泉病院における花子の状態について

甲一〇の診断書には、石和温泉病院に入院した当時の花子の状態について、多発性脳梗塞(左片麻痺)に罹患しており、右の握力は八、左の握力は七で、両側とも筋力低下があり、歩行はパーキンソン様ですくみ足傾向、立位でも左荷重が困難で独歩不能、日常生活動作は食事、整容動作以外はすべて介助を要し、精神面でも自発性が低下し、易疲労性の体力低下があるとの記載がある。

しかし、乙六の一・二、七の一・二の写真によれば、花子はふくよかな体型をしており、表情があることが認められる。また、1で認定した花子の入院の時期からすると、花子は、家庭で生活していくことができなくなったため入院したのではなく、控訴人の入院、手術があり、控訴人が、当面、従来ほど花子の面倒をみることができないため入院したものと認められる。

そして、証拠(乙九、六二)によれば、石和温泉病院で花子の付添いをしていた鈴木(旧姓樽見)とめは、平成二年九月六、七日ころ、くずかごの中に遺言書の下書きが捨ててあるのを見つけ、その内容を手帳に書き写したことが認められる(鈴木とめは、原審において証人として、花子が本件遺言を書くのを見た旨供述するが、同証人の供述は、一〇年近く前の出来事の供述であるため、あいまいな部分も多く、右部分の信用性には疑問を持たざるを得ない。しかし、乙九に乙三の二の遺言書とほぼ同文の記載があることからすると、くずかごに捨ててあった「遺言書」を書き写したとの乙六二の記載は信用することができる。)。

右によれば、平成二年九月当時、少なくとも食事を自分で摂ることができた花子が、一切字を書くことができなくなっていたとは認めることができず、花子には字を書く能力はあったものと認められる。

4  筆跡鑑定について

本件遺言(乙三の二)の筆跡と花子の日記帳(乙二〇)の筆跡について、原審における鑑定の結果は、ア 配字形態は、類似した特徴もみられるが総体的には相違特徴がやや多く認められる、イ 書字速度(筆勢)は、総体的に相違特徴がみられる、ウ 筆圧に総体的にやや異なる特徴がみられる、エ 共通同文字から字画形態、字画構成の特徴等をみると、いくつかの漢字では形態的に顕著な相違があり、ひらがな文字では総体的には異なるものがやや多い傾向があるとして、本件遺言の筆跡と花子の日記帳の筆跡とは別異筆跡と推定するとの結論を出している。

一方、乙六四(吉田公一作成の鑑定書)は、いくつかの漢字について相違しているもの、類似しているものを挙げ、また、両者の筆跡に筆者が異なるといえるような決定的な相違点は検出されないなどとして、本件遺言の筆跡と花子の日記帳の筆跡とは筆者が同じであると推定されるとの結論を出している。

原審における鑑定の結果と乙六四とは、基本的な鑑定方法を異にするものではない。右の二つの結論の違いは、本件遺言自体が安定性と調和性を欠いていること、花子の日記帳は、昭和五五年七月二一日から昭和六二年四月一六日までの間に記載されたもので個人内変動があること、どの字とどの字とを比較するかについてあまりに多様な組合せが可能であることなどによって生じたものと考えられる。

そうすると、右のような対象について、筆跡鑑定によって筆跡の異同を断定することはできないというべきである。

なお、筆跡の鑑定は、科学的な検証を経ていないというその性質上、その証明力に限界があり、特に異なる者の筆になる旨を積極的にいう鑑定の証明力については、疑問なことが多い。したがって、筆跡鑑定には、他の証拠に優越するような証拠価値が一般的にあるのではないことに留意して、事案の総合的な分析検討をゆるがせにすることはできない。

5  本件遺言の作成者について

右のとおり、本件遺言については、筆跡鑑定によってその作成者が決められるものではない。

本件においては、太郎、花子と控訴人との生活状態からすれば、本件遺言がされる動機があり、その内容にも合理性が認められる。そして、乙九(鈴木とめの平成二年当時の手帳)に乙三の二とほぼ同文の記載があることを総合すれば、本件遺言は花子の自筆によるものと認めるのが相当である。

二  したがって、被控訴人らの請求を認容した原判決は失当であるからこれを取り消し、被控訴人らの請求を棄却することとし、当審で追加した請求(附帯控訴)を棄却することとする

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・淺生重機、裁判官・西島幸夫、裁判官・江口とし子)

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